たとえばみなさんが電車に乗り遅れる!と駅の階段を走り上がったとします。
途中まではなんということもなく上がれるでしょうが、だんだん足が重くなり、心臓バクバク、息はゼイゼイという感じではないでしょうか。
階段を上ると足の筋肉を使いますから、まず筋肉で酸素とエネルギーが必要になります。
臓器がもっと血液が欲しい、となった場合には血管が開いて大量の血液を送り込む準備をします。
当然心臓の方もそれに合わせて反応します。
心臓が多くの血液を送りだそうとするときに、2つの方法があります。
ひとつは1回の拍動で送り出す血液の量を増やす。もう一つは拍動の回数も増やす。
急に血液が必要になりますと、大抵はこの2つが起こります。また酸素もたくさん必要なので、肺についても同じ事が起こって、肺へ流れ込む血液の量が増え、また呼吸の回数が増えます。
その結果、心臓バクバク、息はゼイゼイ、という状態になるのです。このときに筋肉の血管で何が起こっているかといいますと、交感神経が働いて血管を広げようとしますし、逆に皮膚や内臓への血管は細くして血液を筋肉に集中させます。
人間の体はこのようにいつ何時、急な動きが必要になるかも知れない、ということで常に一定の血圧を保つ仕組みができています。
冒頭のお話しで、心臓の送り出す血液の量と、血管の伸び縮みで血圧が調節されていることがおわかりいただけたかと思います。
急に走って階段を上るといった急激な動きに対しては、血圧を変動させて流れる血液の量を調節するのは、主に自律神経系ですが、日常の血圧を調節しているのは、細胞から作られるホルモンの様な働きをするタンパク質が活躍します。
たとえば血管の中から血管を広げる物質が作られます。
これが一酸化窒素(NO)です。YES、NOのNOではありません。窒素のNと酸素のOです。
このNOを作り出すのが、eNOSという酵素です。NOSというのは一酸化窒素(Nitric Oxide: NO)を作り出す酵素(合成酵素といいますが、synthetaseのSです)で、頭についている小文字のeは血管内皮細胞という部位を表します。
NOのような単純な物質が実に見事に血管の動きを支配している、ということが発見されたのはごく最近のことで、これを発見したムラド博士、ファーチゴット博士、イグナロ博士の3名に1998年のノーベル医学・生理学賞が授与されています。
さてこのeNOSという酵素を作る設計図である遺伝子に変異(一部のDNAの並び方が普通の人と異なる遺伝子のことを変異遺伝子といいます)があると、このeNOSの働きが悪くなり、必要なときにNOが必要な量を作り出せない、結果として血管が広がったり、細くなったりという動きが鈍くなるということです。
日本人の2割程度に変異を持っている人がいます。
またeNOS以外にもアンジオテンシンという血圧を上げるタンパク質がありますが、このタンパク質の大元であるアンジオテンシノーゲンを作る遺伝子も、日本人には変異が多くみられます。
このアンジオテンシノーゲンをつくる遺伝子に変異があると、塩分に敏感で、少量の塩分で血圧が上がります。
この変異を持っている祖先は人類の創生期、アフリカ内陸部で塩があまり手に入らない地区で生き残った人類であろうと言われています。
多くの日本人はこの変異を持っているので、塩分の多い食事をしていると血圧が高くなる人が多いというのはその辺の理由のようです。
こういった人たちは反対に塩分を制限すれば血圧が下がりやすく、塩分制限が高血圧のよい治療になるということです。
このアンジオテンシノーゲンは腎臓で作られるレニンという酵素で、一部が切られてアンジオテンシンI になります。
さらにアンジオテンシン変換酵素によりアンジオテンシンII となり、これが細胞の受容体という受け皿に入り込みますと、血管が収縮して、血圧が上がる仕組みになっています。
またブラジキニンという物質も血管を縮めて血圧を上げる作用があります。
血圧の調節にはこのように自律神経系やホルモン様タンパク質の多くが関わっており、大変複雑です。ですからこの辺のタンパク質やそれを変化させる酵素を作る遺伝子に変異がありますと、高血圧になりやすいということになるわけです。
健康診断で血圧が高いといわれた人は、遺伝子検査でどんなタンパク質の異常が関係しているのか調べておくことが、高血圧の治療に大変役に立つということになります。