今回はこのシリーズの最後で「抗エイズ薬の開発」についてです。
エイズのおはなしも第4弾となりましたが、皆様エイズ感染の仕組みはご理解頂けたでしょうか。ちょっと複雑ですが、これがウイルスというものです。
ウイルスは生物と無生物の間の存在ですが、そのようなものでも自分が生き残っていくために、こんな巧妙な仕組みをもっているのです。
ちなみに補足ですが、インフルエンザウイルスもRNAウイルスなのですが、ウイルスが乗っ取る相手は免疫細胞ではなく、喉や気管支の粘膜細胞です。
また逆転写酵素を使ってDNAを作ることはなく、RNAから直接メッセンジャーRNAを作ってタンパク質を合成します。ですから感染してすぐにウイルスの増殖が始まり、症状が出ます。
同じRNAウイルスといっても様々な種類があるのです。
さて、本題に戻りますが、もしみなさんが抗エイズウイルス薬を作るとしたら、どんな作用を持った薬剤を作りますか?
クスリづくりで大事な点は、人の正常な細胞では使われていないシステムを見つけ出して、そこを邪魔する薬剤を作れば安全で効果的な薬剤が作れます。
病原菌やウイルスはヒトの細胞にはない、特徴的な酵素やタンパク質がありますので、そこをブロックしてやればよいわけです。正常な細胞の活動に必要な酵素を邪魔する薬剤ですと、正常細胞も影響を受けて、副作用が多発することになります。
前回のお話しで、まずエイズウイルスに特徴的な点は「逆転写酵素」です。
これはほとんどウイルスにしか存在しない酵素ですので、抗エイズウイルスとして最初にできた薬剤もこの逆転写酵素阻害剤(阻害剤というのは酵素の働きを邪魔する薬剤という意味です)でした(薬剤名:レトロビル、ヴァイデックス、ザイアジェン等)。
ところがこの薬剤を使っていくと、ウイルスもその薬剤に耐性(薬剤に対して抵抗性ができ、薬剤が効かなくなること)を持つようになってしまいました。化学構造を変えた逆転写酵素阻害剤も数種類作られましたが、そのたびに耐性ウイルスが出現することになりました。
次に考えられたのがエイズウイルスの別の特徴であるプロテアーゼ阻害剤でした。
これは前回のお話しで、ウイルスDNAからタンパク質がひとつながりの長い鎖として作られて、それがプロテアーゼにより切り出されてエイズウイルスの部品が作られます、というお話しをしましたが、このプロテアーゼを阻害する薬剤ができました(薬剤名:クリキシバン、ノービア、カレトラ、レキシバ、プリジスタ等)。さらにこれらの逆転写酵素阻害剤とプロテアーゼ阻害剤とを組み合わせた、多剤併用療法が有効なことがわかりました。
すなわちエイズウイルス産生のはじめと終わりを邪魔することにより、エイズの治療効果は劇的に改善したのです。
それまでエイズを発症して免疫不全になって多くの患者さんが亡くなられていましたが、この逆転写酵素阻害剤とプロテアーゼ阻害剤を組み合わせたHAART療法(Highly Active Anti-Retrovial Therapy)ができてから、エイズが発症しない程度に、ウイルスが増えるのを抑えることができるようになったのです。
しかしまだ耐性ウイルス出現の問題が残されています。
今まで使っていた薬剤が次第に効かなくなって、次々薬剤を変えていくというのが現状です。
最近では新しい作用の薬剤として、エイズウイルスDNAをT細胞DNAに組み込むために必要な、インテグラーゼという酵素を邪魔するインテグラーゼ阻害剤が開発されました(薬剤名:アイセントレス)。
またエイズウイルスがT細胞にとりつくときに、CD4といっしょにくっつくことが重要なCCR5というタンパク質がありますが、そこがくっつかないようにするCCR5阻害剤も開発されています(薬剤名:シーエルセントリ)。次々に新しい薬剤が開発されていますが、耐性ウイルスとの追いかけっこのような状況です。まだウイルスを完全に駆逐するまでには至っていません。
最初にご紹介させていただいた中村キースへリング美術館でのエイズキャンペーンでも、エイズ患者さんの手記の朗読がありました。
いつか耐性ウイルスばかりとなり効く薬剤が無くなったときの恐怖ですとか、抗エイズ薬での副作用に苦労されているお話しですとか、つらい心情が直接伝わってきました。今回の4回シリーズでエイズウイルスの正体をご理解頂き、まだ解決されたわけではないエイズやエイズウイルス感染症に今一度、関心を持って頂ければ幸いです。