先日、ある会合で井村裕夫先生とお話しする機会がありました。
井村先生は京都大学総長や先端医療振興財団の理事長などを歴任された著名なドクターです。
井村先生には、私が評議員を務める製薬医学会(薬を作り育てていくということを、医学の専門領域のひとつとして推進している学会)の関係で、たいへんお世話になっています。
井村先生のご専門は内分泌代謝なので、今アーテイジで積極的に進めている遺伝子検査から食事栄養指導、肥満対策を行うというお話しをしたところ、たいへん興味を持っていただき、同時に井村先生が中心にまとめられた、今後の新しい医療のあり方として「先制医療」というアイデアを教えていただきました。
今回はちょっとその「先制医療」について書いてみようと思います。
アーテイジはアンチエイジングの技術開発をめざそうとスタートした会社です。
ところが、最近「アンチエイジング」という言葉が世の中に広まったのはよいのですが、どちらかというと見た目の若さということが中心になって、美容やエステ業界でよく使われる単語になってしまい、ちょっと体全体の、「健康のためのアンチエイジング」という意味合いがずれてしまいました。
かといって昔から使われている「予防医学」という言葉も、健康診断、人間ドックを想像させる言葉として定着しており、アーテイジがめざすところとはちょっとしっくりこないような気がしていました。
そこでもっとぴったりした言葉はないかと探していたところ、井村先生の提唱する「先制医療」という言葉に出会ったわけです。
先制医療は井村先生を中心に科学技術振興機構、研究開発戦略センターのメンバーによってまとめられた概念で、遺伝子検査やバイオマーカーという体の反応や病気のわずかな変化を捉える指標とか画像診断などを使って、病気の本体をいち早く捉え、病気が表に出ないうちに抑えてしまおうという医療です。
(図:「超高齢社会における先制医療の推進」 独立行政法人科学技術振興機構研究開発戦略センター )
政府の発信する提言にもこの「先制医療」は盛り込まれています。
私も大学や製薬企業で新薬の開発に長年従事してきましたが、やはり病気が一端表に出てしまいますと、最新の医薬品を持ってしても、それを元に戻すことはほとんど不可能、というのが実感です。
もちろん病気の治療のために薬は重要な存在ですし、その薬をつくることに大いなる努力を払ってきたわけですが、多くの薬は病気を安定させることにとどまり、決して元の健康状態に戻してくれるわけではないのです。特に慢性の病気はそうです。
みなさん薬を飲めば病気が治ると考えているかもしれませんが、治療と言っても病気を治すのではなく、病気がそれ以上悪くならない、病気の進み方を遅らせる、という程度のことがせいぜいです。
たとえば私が開発に携わった薬剤のひとつにアルツハイマー病の薬があります。
自分自身もこの薬はすばらしい薬だと思っていますが、それでも病気の進行を6ヶ月程度遅らせることが精一杯です。
また最近では、進行した乳ガンに対する抗ガン剤で、患者さんが生きることができた期間を数ヶ月程度、従来の治療より長くすることができたということで、画期的新薬として承認になりましたが、この程度が現実です。もちろんそれはそれですばらしいことだと思いますが、それよりは病気にならない方がもっと良いに決まっています。
「先制医療」では、遺伝子検査により、健康リスクをいち早く捉え、バイオマーカーを使って、体で起きている異常をいち早く捉え、病気を起こす前に病気の芽となるものをつみとってしまうということになります。
今の健康保険制度は崩壊の一歩手前と言うくらい逼迫していて、新たな治療法ができても保険が適応になるまでには多くの時間と財源の確保が必要となります。
また本年3月に起こった大震災では、流通が途絶えて薬剤の供給がストップし、多くの患者さんが不安の中で過ごしたことは記憶に新しいと思います。
こんな中でみなさんの考え方もだいぶ変わってきたのではないでしょうか。好き勝手な生活をして病気になっても、病院で薬をもらえば良いさ、という考え方から、如何に病気にならないように普段の生活に気をつけることが重要かということを気づかせてくれたような気がします。
みなさん、年をとるとみんな病気になるのだろうと思っていますが、大きな間違いです。
病気になる人は病気になるだけのことを気がつかないうちにやってしまっているのです。
それを気づかせてくれて、生活習慣を修正する方向を示し、あるいは今までの考え方とは全く異なる、病気になる前に使う薬剤の開発を行っていくことも先制医療(あるいは今後の医療といっても良いかも知れません)の大きな役割です。
「先制医療」が実現されると、日常生活のどこに気をつけるべきかがわかり、あるいはごく軽い治療法で病気を防ぐことができるようになるわけですから、生活の質の改善や医療費の削減にも大いに役立つことにもなります。
もちろん「先制医療」はまだコンセプトができあがってようやく歩み始めたばかりです。
今後更に多くの研究が必要となります。アーテイジでは生活習慣病を中心にその「先制医療」の技術開発とアーテイジ虎ノ門クリニックでの実践をめざしてがんばっていきたいと思います。
先制医療のイメージ図
(科学技術振興機構研究開発戦略センター「超高齢社会における先生利用の推進」より引用)